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ルーシーリーのボタン

桜の花が満開の週末、生活と芸術-アーツ&クラフツ展@東京都美術館 と、U-Tsu-Wa @21_21 DESIGN SIGHTへ行ってきました。
東京都美術館は、上野公園の中にあるので、綺麗な桜も堪能できました。19世紀後期イギリスのデザイン運動『アーツ&クラフツ』は、産業革命以降、工業化が進み大量生産で粗悪な製品が作られて行く事に懸念した、ウイリアムモリスがおこした運動で、それによって、質の高い職人技を凝らしたものなどが作られるようになりました。
展示物はいわゆる生活雑貨から家具などが中心で、とても見応えがありました。ヴィクトリアンの素晴らしい手仕事は、やはり、感動せずにはいられません。もちろん、19世紀後期は、ボタンも良いものが作られているんですよ。エナメルボタン、銀製のボタン、カットスチールなど、美しくて質の高いものは、この時代のものばかりです。
 
 
残念ながら、こちらの開催は4月5日までですが、CO-をご覧の皆さんの中で、ファンが多いルーシーリーのボタンは、六本木ミッドタウンの21_21で、5月10日まで、見る事ができます!!
 
 
 
 
 
 
 
陶芸作家ルーシーリーとジェニファーリー木の作家エルンストガンペールの3人展U-Tsu-Waでは、生前のルーシーリーの作陶シーンやインタビューも見る事が出来ます。ルーシーリーの器が、水に浮かぶかのように展示されていて、その光景はなんとも美しく素晴らしいです。ただ、作品が近くで見れないので、細部を見れないのは少々残念でした。

しかし!!!しかしです。ボタンは、かなりの量を、近くで見る事が出来ます。数百個は展示されているのではないでしょうか?ルーシーリーならではの 釉薬の色など、その美しさを堪能できます。
いつもルーシーリーをご紹介する時、CO-のサイトでは、Biminiボタンに所属しており、後に女流陶芸家として、有名になったルーシーリーなどと、ついBiminiボタンを中心で、ご紹介してしまいますが、今日は、ルーシーリーについて書きたいと思います。
ルーシー リーは、1902年にウィーンで生まれました。ウィーン工業美術学校で陶芸を学びその後、工房を構えますが、1938年にイギリスへ移住します。イギリスでは、すぐに才能を認められず、生活は苦しかったようですが、ロンドンで作陶活動を続けていました。戦争が始まると、もともと友人であったBimini社のフリッツランペルの元で、ガラスボタンの制作を開始し、これをきっかけに、自分で陶器のボタンも作るようになりました。当時は、ルーシーリーの器よりもボタンの方が人気が高かったようで、ボタン制作の為にアシスタントを雇うまでになったそうです。ボタンは、主に、デザイナーからの注文で作っていたそうですが、当時、陶器のボタンが、陶器の器を制作するよりも、お金になったなんて、少し驚きます。割れ物の代表のような陶器やガラス。そういうイメージを超えて、そんなボタンを使いたいと思ったデザイナーがいたのですねぇ。素敵です。 
ルーシーの器には、熱狂的なファンがいたものの、広く知られるようになったのは、1960年代後半の事でした。という事は、60代半ばだったと言う事になります。1990年に脳梗塞で倒れ1995年に亡くなりますが、晩年まで作陶活動を続けていました。お亡くなりになった後、ボタンの多くは、ファッションデザイナーの三宅一生さんが譲り受けていらっしゃるそうです・・・。
ルーシーリーが参加していたBiminiボタンや、BiminiタイプのHandmadeのガラスボタンは、CO-SHOPページで販売しています。
こちら で、 商品をご覧頂けます。