ビミニとルーシー・リー
ルーシー・リー展の東京での展示が昨日終わりました。みなさんは、見に行かれましたか?私は、最終日の夕方ギリギリ駆け込みセーフ!で行ってきました。
ルーシーの器の中でも、なぜか私は、1940年代後半~50年代のものにとても惹かれます。たまたま、これ可愛いなぁと思うのが、全部その時代のものです。作品集の表紙になるようなアートな雰囲気の70年代以降の器よりも、40-50年代の実用的で使う人の気持ちをハッピーにしてくれそうな形や色に惹かれるのだと思います。
ルーシー・リー展では、ボタンのコーナーもありました。ルーシーが手掛けた陶器のボタン以外にも、ルーシーが制作に携わっていたビミニ社のボタンサンプルの展示もありました。(このボタンが作られたのも、40年代~50年代初頭ですね。)
ビミニ社をはじめとする1940-1950年代にイギリスで作られてきたHandmade Glassボタンは、CO-オススメのボタンの1つで、今までほんとうに沢山のボタンをCO-でご紹介してきましたので、国立新美術館に展示されていたガラスボタンの多くも、『あ!これも、これも。』と、お目にかかったことのあるボタンが沢山あり、なんだか嬉しくなりました。(CO-でHandmade Glassボタンをお買い上げ下さった皆さんは、図録と比べてみたら、同じボタンが載っている可能性大ですよ!)
美術館ですので、もちろんケースの中に並べられおり、それらを、みなさん本当に、熱心にご覧になっていました。ボタンの納品途中に立ち寄った為、実物ボタンを鞄の中にもっていた私。思わず、その場で広げて、『見て~』と言いたい衝動に駆られましたが、あまりにも怪しいのでぐっと我慢しました。もしも、美術館でケースの中のボタンをご覧になり、たまたまCO-のサイトにたどり着いた方がいらっしゃったら(いらっしゃったらすごいな!)CO-のイベントにぜひ遊びにいらしてください。ガラスのなんとも言えないプックリとしたフォルムや、重量感、透明感は、やっぱり、手にとってみると違います!
ルーシー・リーが携わっていたビミニ社のボタンについては、FEATUREページでもご紹介していますので、ぜひお読みくださいね。
さて、ルーシー・リーのボタンといえば、メディアに紹介されるときは、いつも 『生活の為にボタンを作っていた』 と紹介されています。なんだか『生活の為』っていう、この定番フレーズに少し抵抗を感じるのは、私だけでしょうか?なんとなく、悲壮感というか、嫌々感というか、が漂っていてボタンファンからすると、ちょっとさびしいなぁと感じます。だって、ちょっと考えてみて下さい。
『ボタン』を作って生活できた時代って、すごくないですか?しかも、陶器製(ビミニ社ではガラス製)の実用的とは言い難いアートなボタン達です。
1940年代。第二次世界大戦中に、作陶を一切あきらめて、ボタン工場で軍用のボタンを作っていた・・・って言うなら分かりますが、ルーシーが作っていたボタンは、戦時中に、贅沢を極めたボタンともいえますよね。ボタン制作の為に自分のアトリエで助手を雇っていたともなると、なんだかこの表現、しっくり来ないんですけど。でも、陶芸家は、器を作るべきってことですかね~。
ルーシー・リー展は、益子陶芸美術館→MOA美術館→大阪市立東洋陶磁美術館→パラミタミュージアム→山口県立萩美術館と、約1年をかけて巡回するそうです。
左の画像のボタンは、ビミニボタン。これは、CO-のコレクションです。
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